もっとゾンビを出せ!『バイオハザード』

アランと同い年にしては湯上り卵肌のミラ・ジョボビッチ
私アランは何を隠そう、ゾンビ映画が大好きです。生まれて初めて劇場に観に行った映画がジョージ・A・ロメロ監督の『死霊のえじき』でありまして、これは『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』『ゾンビ』から続くゾンビ3部作完結編でありました(ところがここに来てロメロが4作目の脚本を書いているとの情報が!早く観せろ!)。忘れもしない当時小学生だった土曜の朝。あと1日で日曜というとってもハイな時間にテレビでやっていた「映画ダイジェスト」の予告編を観て完全にノックアウト! どうしても観たくなって父親に「連れてってくれ!」とねだったのでした。さあさ、実際に劇場に観に行ってみると、ここでも完全にノックアウト! 地球上の人口の99%がゾンビになっているという絶望的な設定と強烈なショック描写に圧倒され、「これぞ映画だ!」と劇場初体験ながらわかったような口調で映画に目覚めてしまいました。かなり問題ありな映画ファンキャリアのスタートですが、当時のことはものすごく印象に残ってるんですね。横に座っていた60過ぎぐらいのお婆ちゃんが「あーあー、後ろ後ろ、危ない危ない!」とみかんを食べながら映画に釘づけになって、しばらくするとグーグー寝ていたことなんかも鮮明に覚えています。
で、家に帰ってからもしばらくはゾンビに夢中で、メシと睡眠以外はずっとゾンビウォーキングをして時間を過ごす始末でした。「全人口の99%がゾンビになったらどうすっかな〜。やっぱ人間やってても寂しいから、指先ちょっと噛ませて自分もゾンビになるかな〜」と、やや小心な考え方をしながら。
後に『ナイト・オブ〜』と『ゾンビ』の存在も知って、もちろんビデオで観るわけなんですが、これも相当に素晴らしい! より深く知りたくなってロメロのインタビュー記事なんかを読みまくります。するとロメロはこの3部作を非常に高尚な哲学のテーマを持って作っていたことがわかります。何でもゾンビはアイデンティティを失った現代人のメタファーであって、ロメロ自身は現代に生きている人々(=国家や企業の官僚制度に従って生きている人間達)はみんな“歩く死人”だよ、と言っているんですねー(このことはドキュメンタリー映画『アメリカン・ナイトメア』でも語っています)。で、ロメロはハリウッドの官僚制度も大嫌いでピッツバーグでインディペンデントの映画を撮り続け、自らのゾンビ化を防いでいるわけです。男です。ん、待てよ、じゃあ指先噛ませてゾンビになる気でいるオレは完璧なヘッポコ人間か!?
さて、そのようなゾンビ3部作にはもうひとつの深遠なテーマがあります。それは元人間(=ゾンビ)を合法的に殺せるようになれば人々はどのような行動をとるかという点です。2作目『ゾンビ』でハンター達が楽しみながら銃でゾンビ狩りをするシーンがあります。人間の心の暗部を上手く描写した名シーンです。やはり有史以前から闘争本能を持っている人間は心のどこかに他人を傷付けたいという願望があるのでしょうか。これを上手く利用したのが日本生まれで海外でも大ヒットしたゲーム『バイオハザード』でした。何せゲームを始めれば誰でも映画『ゾンビ』の登場人物になれるのです。これには心優しきゲーム音痴のアランも魅力を感じました。
撃て!撃て!うひょー!テメエらはもう人間じゃねーんだ!オレ様に勝てるとでも思ってんのかい?と、人間の暗部丸出しでゲームにハマってしまうこと請け合いです。しかし、そこはゲームの世界。節操をわきまえて、現実に持ち込まないようにして遊びましょう。
そんで、アランもゲームソフト屋で買いましたよ中古の『バイオハザード』(980円)。でもね、謎解きとかめんどくさいの。そんでね、ゾンビ犬とか出てくると動きが速くて倒せないの。結局、冒頭のゾンビを撃てるとこだけ何度もやって、あとはほったらかしのアランです。って、オレが一番鬼畜なのかな〜?